大阪滞在記(2015/06)

ラーメン

2016年の6月に出張で一ヶ月ばかりいた、大阪での滞在記。

色々な意味で、いる意味はなかったけど、いてよかった一ヶ月だった。

2年余り続く予定だった長期案件は、あっさりと半年で終わりを迎えた。

上流工程であればあるほど契約や政治ごとを含む顧客との諸条件が詰まっていないもので、システムを導入するはずだった客先は、当初の海外滞在する期間を迎えても建屋すらできていない有様。

そういった事情は理解できるのだが、弄ばれた感は否めない。しかし言っても仕方ない。
そんな状況での仕事が身になるわけもなく、しかしギャラはまぁまぁだったので不満タラタラというまではいかず、この仕事を受けなかったら行くことはなかったであろう土地で、ひたすら旨いものを食ってやろうという目的にすりかえるまで時間はかからなかった。

で、大阪だ。

そもそも、東京に来て初めての仕事でクソ鬱陶しい大阪人にあったせいで、関西人アレルギーだったってのが正直なところ。
そして大阪は私が苦手とする関西人要素の総本山のようなもので、旨いものはたくさんあるであろうことは理解しているものの、アホ関西人が喧嘩を売ってきたら即解体してやろうくらいの好戦的な気持ちでいた。

しかし、大阪という土地自体が東京から人を少し減らした感じで、流しのタクシーが少ない(東京が多すぎなんだろうけど)ことを除けば住みやすく、案外と緑も多いので土地自体に好感を持った。

この写真は、滞在していたOAP近くの川。
桜ノ宮の川っぺりは緑と公園で埋まっていて、眺めていると少し気持ちが落ち着く場所だった。
まぁ、桜ノ宮ってのは、思いっきりラブホ街なんだけどね。
16時くらいに早上がりした日、JKとおっさんがお手て繋いでラブホ街を歩いているとこ、2-3回見たわ。
そしてそいつらとパトロール中のパトカーがすれ違っても、スルーしているところまで含めて桜ノ宮なんだと思う。
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大阪人について、住んでいる人たちも、私が知っている関西人と違って「やたらと声がでかい」とか「とにかく人を貶めて笑いをとる」とかいう人は少なく、大阪人に聞いてみたら、東京には相手にされていないことは知っているけど、大阪人は東京にライバル心を持っていて、東京に言った大阪人はとにかく存在感を示してやろう的な発想になってしまってそんな感じになるんだとか。

じゃあ大阪にいる大阪人はどうなんだ?というと、いたって普通。
当たり前なんだろうが、なんてことはない普通の人々で、飲み屋の大将や隣り合った人たち何人かと一ヶ月の間に仲良くなれたが、楽しく飲めた。
ただ、違う店に行くたびに「どこから来たの?」と聞かれて東京だと答えると身構えられて、ただし生まれも育ちも北海道だと答えると破顔一笑されることにはウンザリしたけれど。

つまり、一ヶ月、ほぼ飲み倒していた。

そもそも一ヶ月しかいない予定だったし、あと一ヶ月したら東京に帰る奴に重要な仕事は来ない。
つまり大したことない仕事、言い過ぎかもしれないが定時まで現場にいるだけの仕事といって差し支えなかった。

そんなの、もう飲むしかないでしょ。

というわけで飲み倒してたわけだが、大阪の飲み代の安さには舌を巻いた。
そんなに激安とまではいかないが、平均的に東京で五千円かかるクオリティが三千円、一万円はする店が七千円くらいで済む感じ。
きじなんてお好み焼き2つとお酒2杯で2300円だったからなぁ。
東京ほどアホみたいに土地や賃料が高くないという背景、関東よりも利用者側のコスト意識が高いことが原因かもしれない。

たこ野郎の大将、裏二冨士の皆さん、とんまの大将には楽しい時間を過ごさせていただいた。

その他、特に美味しかった店で記憶に残っているのは壺天きじかな?
ピュールおはこも良かったけど、大阪らしさというか関西らしさは特になかった気がする。

そんなこんなで短い一ヶ月間は、あっという間に過ぎた。
感傷も特になく、さくっと現場に挨拶をして、さくっと引き上げ。

ちなみにこの写真は、のぞみとひかりレールスターのカップルショット。
なかなか良い写真が撮れた。
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最後に、一ヶ月間ある意味で辛かったのが、「水が合わない」こと。
いや、気にいらねえという話ではなく、本当に水が合わない。

水が原因だなんて気づかず、最初の十日くらいは一時間おきにトイレに通っていたほど。
タバコ休憩が多すぎとか怒られたりしたのだけれど、こっちは物理的に参ってたんだよ!

けっこうそういう人はいるようで、私はロックで飲む氷ですらダメだったし、ミネラルウオーターで歯を磨いていたという人もいた。

しばらく大阪にいると順応できるらしいが、これからの人はお気をつけて。

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