私は大学時代に、アウトドアを中心とした様々な活動を行うサークルに所属していた。その活動内容は多岐に渡っていて、山登りや釣り、洞窟調査などをはじめとし、果ては海外遠征として未踏の地に行くような活動も過去に行われていた。部員のそれぞれがやりたい活動を提案し、それに興味を持った他の部員と一緒に活動を実施する形式だった。私は大学1年生の時、そんなサークルで出会った先輩に誘われて無人島に行き、先輩と2人で瀬戸内海を漂流するはめになった。今回は、そんな恐怖体験によって得た体験やその時の感情、思考について共有したいと思う。
初めに弁明しておきたいことがある。最初の書き出しを見て、キチガイな先輩に騙された可哀想な後輩みたいな構図が思い浮かぶかもしれない。しかし、普段の先輩は親しみやすい性格で、話も上手く聡明な女性だった。今でもその先輩とは仲良くしているし、ぶっ飛んでいるところはある人だけど悪い人ではない。誰かが悪者というよりは、この話における登場人物の全てが良くない相互作用の連鎖をつなげていった結果、悲劇が起こってしまったという方が事実に近い。
【写真:無人島の様子】
悲劇の舞台となった無人島は、とある県に属する小さな島だった。活動期間は約一週間で、参加した部員は私とその先輩以外にも数名いた。この無人島活動の目的は、名目上は「サバイバル技術の向上」だった。食糧や装備は十分に持ち込むが、なるべくそれに頼らないサバイバル生活を行うことになっていた。しかし、先輩には別の目的があり、それは「島にあるものだけで自分で筏を作り、それで島を一周する」というものだった。
漂流の経緯
筏について
今回のフォーカスは無人島生活ではなくあくまで「漂流した」という部分なので、そこに焦点を絞って話したい。先輩と私が作った筏は、流木を組み合わせて麻縄で縛り、そこに浜に打ち上げられたペットボトルや大きな発泡スチロールの塊をいくつか括り付けた簡易的なものであった。筏を漕ぐオールも、海に削られ軽くて薄い形状になったお誂え向きの流木があったのでそれを使用した。しかし、この無人島に流れ着くものは極端に少なく、2日以上島中を歩き回って使えそうなものを少しずつかき集めて、何とかでき合わせの筏が完成した。人が乗れる部分の広さは約0.7m×1.2mで、2人が体育座りで並ぶのがやっとくらいの大きさだった。
【写真 : 制作途中の筏】
いざ出航
私は筏が完成した時、正直これで島一周はとても無理だろうという体感があり、先輩も「テストしてみて考えよう」とこの時は慎重な様子だった。試しに海に浮かべてみるとなんとも心許なくゆらゆらと浮き沈みしたが、2人で乗っても完全に沈むことはなかった。先輩は「ちょっとどのくらいいけるか乗ってみよう」と言ってオールを使って沖へと漕ぎ始めた。そこに他の活動メンバーが何人かやってきて、「どこに行くんですか?」と声をかけてきた。先輩は砂浜から私たちを眺めている彼らに向かって「喉乾いたしちょっと本土に戻ってコーラ買ってくるわ!」と発言した。私はさすがにこの時冗談だと思っていたが、その後先輩は黙々と沖に向かってオールを漕ぎ続け、次第に彼らとの距離も遠くなっていった。先輩が漕いでいるせいもあるが、沖に向かう潮の流れの影響もあるように思われた。
怪しい雲行き
次第に陸から離れる様子を見て私は戻った方がいいと思い、「あんまり沖に行ったら戻るのしんどいから戻りましょう」と提言した。その時は陸からまだ15mしか離れていなかった。先輩は、「このくらい超楽勝で戻れるよ」と言って漕ぐのを止めなかった。私は一抹の不安を感じたが、先輩が大丈夫と言うならもう少しだけと思い、それ以上何も言わなかった。先輩は女性でありながら平均的な男性より遥かに体力があり、それに加え水泳も抜群に得意だった。この時は彼女のことだから自分の力量を踏まえて判断しているのだろうと思った。しかし、陸から離れる加速度は次第に上昇していき、あっという間に30mほどの距離ができた。瀬戸内海には離岸流はあまり発生しないと聞いていたが、この速さはまずいと思い「先輩、リミットだと思います。潮も若干沖に向かって流れているようだし、流石に戻りましょう」と再度促した。先輩は「うーん、せっかくここまで来たのに」と渋っていた。この時、私は自分と先輩との間にある感覚の決定的な違いを思い知った。彼女はこの状況について何の不安も恐怖も感じていなかったのだ。先輩は「それより見て!この魚の光の反射すごく綺麗じゃない?」と呑気な様子で、いつまでもオールを漕ぐのを止めず、隣にいる私の恐怖は加速度的に倍増していった。一個しかないオールは先輩が握っているため、私は海に入り、筏にしがみついて陸に向かってバタ足を始めた。
焦る私と余裕の先輩
この時になると少なくとも陸から50m以上は離れていたと思う。すでに人がいるかも分からないほど砂浜が小さくなっており、絶望的な状況だった。先輩はオールを漕ぐのは止めたものの、のんびり魚を眺めていた。私は小さくなった砂浜をずっと見やって必死にバタ足を続けたが、一向に近づく気配もない。「私一人じゃ無理です。先輩も漕いでください!」と言ったが、「そんなに焦る?」と返され気力が抜け落ちた。砂浜は少し近づいているような気もするが遠すぎてよく分からなかった。絶望も希望も、観念のようなものはもはや何も頭に浮かばず、足だけに意識を集中させて右、左、右、左、とひたむきなバタ足を続けた。ほんの少しだけ砂浜が大きくなり、「まだ戻れるかもしれない」と感じたちょうどその瞬間、両足に電流が走った。
何かに足を刺される
考えるより先に足が反射的に縮こまり、それから一拍おいて心臓が恐怖でバクバクと跳ね上がる。「痛い!」と私が声を上げると、先輩は「え、クラゲ?」と聞き返す。パニック状態の私を見て先輩も只事ではない状況を感じたのか、海に入って一緒に筏を押し始めた。私はバタ足を再開しようとするも、足が水の動きに触れるたびにズキズキと痛んでうまく泳げない。私の脳内では「猛毒の生物に刺されてしまったのではないか」という恐怖が生まれ、洪水のように溢れ始めた。そんな状況で先輩に「私一人でも時間をかければ戻れるから安心して」と言われ、これまで不安なまま翻弄され膨らんでいた怒りが極限状態において急激に沸騰した。私は先輩に「お前みたいなバカのせいでこんな目にあってんだろ」などと感情的に罵詈雑言を浴びせてしまったが、何の意味もない行動だった。先輩はそれに対して言い返しても何にもならないことを知っていたので、隣で黙々とバタ足を続けていた。私はそんな冷静な先輩を見て全てを諦め、泳ぐのをやめた。強い先輩は生きて帰り、弱い私はここで溺れて死ぬのだろう。そんなことを何度も頭の中で反芻して時間が過ぎていった。
救助
しばらくして先輩が、「見て!」と大きな声を上げたが、私はこの後に及んでまだ何かに気を取られる余裕があるのかと呆れてしまった。先輩が「ギョセンだよ」と言う言葉を発したが、頭の中で言葉がうまく変換されず、全く意味が分からなかった。背後から異音がして目線だけ後ろにやると、そこに船があるのが見えた。先輩は私のそばから離れ、その漁船に向かって泳いでいった。しばらく経って、呆然としていた私の前にその船が旋回して現れた。先に船に乗せてもらった先輩がニコニコして私に手を差し伸べてきて、私は憔悴しきった顔でそれに捕まり、船の上に這いずり上がった。全身が脱力して震え、体力的に限界だったことが唐突に身体感覚として現れた。ありがたいことに、私たちは救助されたのである。
漂流の原因
このような事故が起こった原因として、筏について、活動エリアの海についてなど、十分な知識と2人の間での共通認識を持ち合わせていなかったということは大きい。先輩の思いつきから発されたが、お互いに十分な検討を行なっておらず、あまりにもお粗末な計画であった。私は漠然と砂浜が遠のくことへの恐怖を感じ、先輩は漠然と大丈夫だという考えを持っていた。どちらの考えも主観的なもので、危機に対する明確な基準は何一つ設けられていない。私が悪かった点として、先輩の人柄や判断力について過信してしまい、自分で考えることを放棄してしまっていた。先輩はスペックが高く、普段のサークル活動における話し合いなどでも正常な危機観念や問題解決能力を持っている様子だったので、まさかこのような思いつきによる衝動的行動を取るとは思ってもいなかったし、平均的な人間が恐怖を感じる状況で何も感じないサイコパスのような人間だと言うことも知らなかった。私が一番良くなかった点は、私が最終的に全てを先輩のせいにし、恐怖に飲まれて問題の解決を放棄してしまっていたことである。漁船に助けられていなかったら先輩はともかく私は死んでいたと思う。冷静になるしか生きる道はないのに、それを放棄したら何もかも終わりである。
経験から学んだこと
当たり前のことだが、危険が伴う活動については特に、自分が取る判断や行動は意味があって、かつ正確でなければならない。そのために十分な事前知識を得た上で活動に臨むべきであるし、一緒に活動する人とはお互いの力量を把握し適切な共通認識を持つことができているかを確認することも重要である。自分よりどれほど優れていると思う人間に対しても、自分なりの考えを伝えることを怠ってはならない。最後に、パニックになるような最悪の状況においては、それがどんなに難しかろうと最善の方法を考え続けることをやめれば死ぬだけである。そのことをよく肝に銘じておくべきだ。
まとめ
助けてくれた漁船の方に当然お礼はしたものの、改めて感謝の念しかない。大学に入ってすぐにこのような衝撃体験を経験してしまった私にとって、(経験しないに越したことはなかったが、)今でもこの時の強烈な感情の動きは体に深く刻み込まれている。もう一回同じ目に遭うこと自体難しいが、ここで起こしたことと同じような要因による過ちを犯さぬよう残りの人生を過ごしたいと思って生きている。
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