本レポートでは、2023/2/15に行われた勉強会「考えるとは何か」について内容をまとめ、自身の感想を述べる。
頭脳労働者やそれを目指す人にとって、考えることは仕事そのものであり、最も重要といっても過言ではない。しかし「考える」とはどういう行為か、自信をもって説明できる人は多くないのではないだろうか。今回は「考える」とはどのようなことなのか、考えることができない人とそうでない人は何が違うのか、考えることができるようになるためのガイドラインについて紹介する。
「考える」とは
「考える」とは、簡単にいうと「学ぶこと」と「学んだことを活用すること」の2つで構成され、「物事を一般化・抽象化し、様々なケースで応用すること」と言い換えることもできる。しかし、実際に本当に考えているかどうかは、客観的に測ることは難しい。全く考えることができていない場合でも、「私はちゃんと考えています!」と言い張ることができてしまう。そのため、まずは自分がきちんと考えることができているかを確認するスタート地点に立つことが重要である。
無知の知
自分が「考えている」かどうかを正しく認識するために必要なことが、「無知の知」である。すなわち、自分が知らないことや分からないことがある、という事実をしっかり認識する、ということだ。
知識は「知っているかどうか」と「自覚しているかどうか」の2軸で以下のように分類できる。
知らないこと・わからないことがあること自体には何も問題はない。この認識ができる、赤い部分にあったものが「無知の知」の領域へと移動する。しかし自分には知識があると思いこんだり、無知自体を恐れて目を背けたりしていると、無知の知はなされず学ぶきっかけを失ってしまう。
無知の知がないとどうなるか
それでは「無知の知」が出来ない人はどうなるのか。結論から言うと、「関わりたくない人」「仕事ができない無能」に認定されることになる。本来知性が武器であるはずの人間が、
- 思い込みや決めつけで物事を判断する
- 論理が明らかに飛躍する
- 思考停止して周囲にただ同調する
という行為をおこなうことはもはやタブーともいえる。しかし、「無知の知」ができない人はこのようなタブーを犯し続け、自分にとって都合のよい正解に基づいて安易に断定的な肯定や否定を繰り返してしまう。
そもそも実際の社会には学校のテストのような唯一絶対の正解なんてものは存在せず、その時のケース、パターン、背景により見方や判断は変わる。しかしそのようなことを考慮せずに短絡的な意見を他人にぶつけたり、自分勝手な行動をしたりしてしまうことで、「関わりたくない人」という烙印を押されてしまう。
無知の知を行うために
それでは「無知の知」を行うためにはどうすればよいのか。それは「自責思考」を持つことである。自責思考とは、何か起きた時に自分に原因がなかったかを考えることである。これはただネガティブになって自分を追い詰めることとは異なる。
自責思考がない人は、何か問題が起きた時に自分の落ち度を考えることなく、他人や周囲の環境のせいにしてしまう。自らを顧みないため、自らの無知に気づくことができず「考える」ことを放棄することになる。
一方、自責思考がある人は問題が起きたときにその原因は自分にあるのではないか、何か自分が出来たことがあるのではないか、という思考ができるようになる。その結果自分が知らないことやできないことに気づくことができ、それを学ぶことで「考える」という行為に繋げることができる。
本当に考えられているかどうかを確認する
本当に自分が「考える」ことが出来ているか、「無知の知」を実践できているかを確認するためには
- 自分自身にツッコミを入れる
- 具体例を言えるか
- 自分が説明した時に他者が納得しているイメージができるか
を考える必要がある。自分自身に疑いの矢印をむけて自責思考を持ち続けることで、「考える」という行為のレベルが上がっていく。
まとめ
世の中の物事は絶対に正義や悪と断ずることはできない。であるからには、そのときの状況に応じて自分なりの判断をしていかなくてはならない。そのためには自責思考に基づき、「無知の知」を行い続けることで、思考の幅や深さをより良いものへと進化させ続けることが大事である。
感想
「考える」ということがどういうことなのかぼんやりしたまま、ただ「自分は考えています」と言っている人とはまさに自分のことであった。やみくもに考えるつもりになるのではなく、常識や多くの人の意見にも興味と疑問を持つことで、自らの思考を磨いていきたい。
また自責思考とただのネガティブ思考の境界は意外と難しいと思うので、正しい自責思考を身につけていきたい。
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