2022年7月1日に行われた勉強会「底辺の仕事③」についての内容や感想を述べる。
生きていくためにはお金が必要であり、お金を稼ぐためには仕事をしなければならない。天職とまでは言わずとも、底辺と呼ばれる仕事には就きたくない人が大多数であろう。まずは底辺の仕事とは具体的にどのような仕事であるのかを知り、底辺の仕事をしないためにはどうすればよいのかを明確にするために行われた勉強会である。
底辺の仕事とは、やりがい等の自分軸でいえば何の糧ともならない仕事であるが、社会的地位等の社会軸も存在する。今回は社会軸の観点から底辺の仕事を紐解いていく。
社会軸から見た仕事の分類
底辺の仕事について、世の中の多くの人は、「なんとなく」や「イメージ的に」といった印象で判断しているのではないだろうか。物事の判断や評価を「なんとなく」で済ませてはならないため、まずは「なんとなく」の正体を紐解く必要がある。
そのために、①社会的重要性、②収入、③ステータスを社会軸の判断基準として仕事を分類する。
社会的重要性 | 収入 | ステータス | 具体的な仕事 |
高 | 高 | 高 | 医者、パイロット 等 |
低 | コンサル、ゴミ収集員 等 | ||
低 | 高 | 教師、保育士、消防士 等 | |
低 | 介護士、コンビニ、ガソリンスタンド 等 | ||
低 | 高 | 高 | 芸能人、有名人 等 |
低 | 風俗嬢、ホスト、キャバ嬢、Youtuber 等 | ||
低 | 高 | ディズニースタッフ、美術家、陶芸家 等 | |
低 | 期間工、店員系(小規模のアパレル、牛丼屋 等)、ブラック企業の従業員 等 |
「なんとなく」の一般的な認識において、上記表のうち社会的重要性・収入・ステータスの3つ全てが低い最下段に分類される仕事は、底辺の仕事の共通的なイメージではないだろうか。また、全てでなくとも、いずれかが低い仕事を底辺とする人もいる。
ただし、自分軸として相対的な要素もあるため、いずれかが低い=底辺の仕事ではない。
人によって解釈の差はあるにせよ、「なんとなく」という抽象的な考えではなく、具体的かつ客観的(ここでは3つの社会軸の判断基準)に認識しなければならない。
今回は、底辺の仕事の判断基準を、社会的重要性・収入・ステータスとしたが、何をもって底辺の仕事とするかの判断基準は人それぞれにあるものの、最もゆるぎなく分かりやすい判断基準は収入(お金)であり、貴賤はさておき「収入が低い仕事」=「底辺の仕事」と整理するとわかりやすい。
職業の貴賤
資本主義である日本においては、「稼ぐ・有能」=「正義」であり、それを前提として稼ぎや能力による差別は受け入れられている。逆にいえば、「稼ぎが低い・無能」=「悪」という社会である。
そのため、稼ぎが低く無能な人間が行う仕事は悪であり、それこそが底辺の仕事であるとイメージする人も多いのではないだろうか。
そこで、仕事を「貴賤」の観点から考えてみる。
よく「職業に貴賤はない」と言われるが、実際は「ある」と言える。例えばステータスが高い仕事は羨望を集めるものの、すなわち「貴」であるとは言えない。対して、社会的重要性が高い仕事は社会を支え、人を支える意味で「貴」であると断言できる。
しかし、社会的重要性と収入が乖離する仕事も少なくないため、「貴」であろうとも収入を求める人が多い結果、社会的重要性が高いが収入が低い仕事は「賤」=「底辺」とイメージする人は多い。
底辺の仕事とブラック企業
底辺の仕事は無能な人が行うという観点から、無能な人はブラック企業のエサになりやすい。その背景には、日本人ならではの精神論が潜んでいる。
日本人は昔から「苦痛信仰」や「奴隷気質」の精神があることから、「苦痛に耐えること」=「美徳」とされており、現代でも尚、その精神は残っている。
また、奴隷気質が抜けない人にとっては、命令は絶対であり無茶を受け入れる癖が身に染みている。
この苦痛信仰と奴隷気質は、悪い意味でブラック企業と相性が良いため、なかなかブラック企業がなくならないと思われる。
企業努力
日本の企業は消費者を異常に持ち上げる傾向があり、コスト削減やサービスレベルの維持の矛先が従業員や仕入先に向けられ、結果としてブラック企業を生み出してしまう。
企業努力と言われると消費者側にとっては聞こえが良いが、短絡的に考えてはならず、ブラック企業=底辺の仕事を生み出す要因ともなっている。
例えば、原料の値上げは発注側のコスト対策が必要であるし、生活必需品は国民生活への影響が大きいことから、企業努力が求められることは仕方のないことかもしれない。
しかしながら、消費者への転嫁を徹底的に避け、企業側の努力にばかり期待する結果、収益の低下からコスト削減や労働環境の悪化が企業をブラック化させてしまうことから、ブラック企業=底辺の仕事を生み出してしまう一因となるのではないだろうか。
まとめ
底辺の仕事ではなく「良い仕事」に就くためにはどうすればよいのか。
そもそも「良い仕事」とは、往々にして「①イス取りゲームのように限りがある」かつ「②エントリー資格が必要」であることが多い。
そのため、良い仕事は当然誰もが簡単に就けることはなく、イス取りゲームのように限られた枠の奪い合いに参加しなければならず、またその競争に勝つ必要がある。
そして、良い仕事であるほど、大卒や資格を有していること等のエントリー資格が無ければゲームに参加することすらできない。
また、良い仕事にもレベルがあり、まずは自分が希望するレベルに参加し、競争する。
そして、競争に負けた者は一つ下のステージに参加し、また競う。更に、そのレベルでも負けた者はさらに下のレベル、というようにレベルを下げてゆく。そして、下がるにつれて底辺の仕事に近づいていく。
成功者は、イス取りゲームへの参加ではなくイス自体を生み出すことができるが、成功者になることができない殆どの人はそうはいかず、イス取りゲームへの参加と競争に勝つことが強制される。
自分がイス取りゲームに勝ち、底辺の仕事から遠ざかるためには、自ら進んで動き、学び、成長しなければならない。
感想
底辺の仕事については、これまでにいくつか勉強会を受講してきたが、今回はイメージしやすい判断基準(社会的重要性、収入、ステータス)からの内容でありしっくりきた内容であった。今は需要や働き方の観点からも多くの仕事が存在するが、やはり自身は収入に重きを置きたいと考えている。
現在の仕事に就くまでは、「自分に向いている」や「楽しい」に重きを置いてきたため、収入面や待遇の面でも厳しい環境を経験し、結局は自身を苦しめることになった。その経験から、やりたいことよりもまずは経済的安定がなければそもそも自身の幸せに繋がらないと感じたため、現在の仕事に転職した。
現在では、雇用関連(社会保険等)でもきちんとした会社に入ることができ、前職で感じていた不安もなくなり、次は収入を上げるために前向きな気持ちになっている。
もちろん仕事に対して何に重きを置くのかは人それぞれである。でもやはり、「お金よりも大切なものがある」と言える人はそもそもお金に余裕がある人であり、私も含め多くの余裕のない人は、やはり何よりもまずはお金が大事と言えるのではないだろうか。
幸せになるためにも収入を上げたいので、そのためにも日々の業務や勉強に精進しようと思う。
コメント