人は幸せになるために生きているが、幸せを阻害する「貧乏マインド」の正体は何であるのか。ここでは11月30日に行われた勉強会「貧乏マインドを捨てる」について学んだことや感じたことを記載する。
幸せになるためには
人は幸せになるために生きているが、幸せになるには幸せ要素を増やし、不幸せ要素を減らす必要がある。
貧乏マインドはその逆であり、持っていると、不幸せ要素を増やし幸せ要素を減らしてしまう。
そのため貧乏マインドは捨てなければならないが、そのためには貧乏マインドの正体を突き止めなければならない。
貧乏マインドの正体
貧乏マインドはいくつもの要素から成り立っている。
行動しない、口だけ
とにかくネガティブな要素しかなく、ポジティブな要素が1つもない。
「口だけで行動しない」=「生産性が全くない」ことであり、幸せになるためにとても有害である。
また、自分がネガティブであるばかりに周囲にもネガティブな要素を振りまくこととなり、悪影響を及ぼしてしまう。身近にこのような人がいる場合には直ちに関係を切るべきである。
リスクを嫌う
リスクを嫌う源泉は「損をしたくない」や「失敗したくない」からである。
好んでリスクを負いたい人はほとんどいないと思うが、リスクが無い行動は殆どなく、リスクが無ければ何も得られない。
リスクを恐れることで前項①の内容に繋がり、有害なネガティブな人間になってしまう。
やらない理由やできない理由から入る
事前の検討や準備は重要ながらも、やってみなければ分からないことは多く、その過程や結果が良いか悪いか判断することもできない。
仮に得たものが悪いものであったとしても、それが悪いものであったということを知ることもでき、やってみることで得られることや気付きは多くある。
やらない理由は人それぞれあると思うが、その根源の大半は「もっともらしいことを言って、本当は面倒くさいからやりたくないだけ」である。
学ぼうとしない
人間は学び続けることで成長していくが、学ぼうとしないことは本能に従って行動するだけの昆虫と同じである。
学ぶことでより良い方法を見付け、常に新たなものを取り入れることや今あるものを上書きしなければならない。
にも拘わらず、学ぼうとしないことは、「時間や労力を無駄にしたくない」や「単に面倒くさい」ということである。
ここでの学びは学校で教わるような勉学的なことではなく、仕事や人生における学びである。
仕事における学びとは、技術の向上や仕事の役に立つためのものであり、何の役にも立たないことを学ぶことには意味が無い。
人生における学びとは、人と出会うことや何かしてみることで、これまでの自分にないものを取り込み、そこから何かを見出すことである。
仕事においても人生においても幸せになるために必要な学びであるが、これらを混同してはいけない。
マイナス思考
うまくいかないことを前提にしている考え方であり、その源泉は自己を卑下してしまうことである。
考えても仕方のないリスクをいつまでも考えていても何も前に進まず、生産性の無いネガティブ要素を生み出すだけになってしまう。
何事にも成功を阻害するリスクは存在し、リスクを負うことで成功に向かって進んでいくという考え方を持たなければならない。
ムダなプライド
自分の実力を直視したくないことから、自分を正当化してしまうことであり、やらない理由ばかりを並べてしまう。プ
ライドが高いことが決して悪い訳ではなく、その場を乗り切るための必要な要素でもあるが、そこには実力が伴っていなければならない。
実力を高める努力を避ける姿勢や実力を伴わないムダなプライドからは何も生まれないため、直ちに捨てるべき要素である。
感情に支配される
感情は人間の源泉であり、誰にでも存在するものである。
そのため、感情は大切であるし感情で判断することは問題ないが、「感情に支配されること」はあってはならない。
人には誰しも譲れないものがあり、論理的に考えたときにそぐわなかったとしても、感情で選択することは悪ではない。
ただ、他人の言動に左右されて感情的になってしまうことや、感情的に支配されることで本来の目的から逸れてしまい、無意味な口論や、無力感を生み出す原因になってしまう。
他人に左右されないブレない軸を持つことこそが理念や信念であり、それにより自分をしっかりと保つことが重要である。
投資をしない、消費する
消費自体が悪い訳ではなく、投資をせず、消費しかしないことがマイナス要素である。
消費はすぐに手に入るような目の前の一時的な欲求を満たすものにしか過ぎず、即物的に物事を求める姿勢が定着してしまい、早かれ遅かれ消費すること自体に必ず飽きてしまう。
対して、投資は得たいものを得るために時間もお金もかかってしまうが、その実りだけでなく、実りがない場合の過程すら必ず自分の糧となる。
人によって何が投資で何が消費であるのか線引きに違いは生じるものの、消費による一時的な欲求を満たすものと、投資により目先に必ず何か残るものなのかを判断し、使い分けなければならない。
値段至上主義
「コスパ」ではなく「コスト」で物事を考えてしまうこと。
似たようなものが違う値段で2つあるとき、人はぱっと見の値段で安い方を選んでしまいがちになる。
確かに手持ちのお金で判断せざるを得ない状況もあるが、2つを比べたときに、本質を見て選んでいるのかどうかが重要である。
1つはそもそもの品質が低く安いもの、もう1つは品質が高くそもそもの値段も高いが、そこから半額以上に値下げされているもの、と考えたとする。
確かに後者は値下げ後も前者に比べて高いとしても、元の品質が高いものが半額以上の値段で手に入れることができると考えると、とてもお得な買い物である。
意思決定は、コストではなく「コスパ」でしなければならない。
「元を取る」という発想
原価と比べてしまうことであり、お金を払う目的がずれている愚かな発想である。
そもそも、世の中のお金で買えるものの値段設定には原価以外にも構成要素がある。
しかし、消費者の中には、構成要素ではなく原価に焦点をあてて値段設定と比べてしまいがちな人間も多く、何の根拠もない「お得感」だけで元を取ろうと考えてしまう。
しかし、そもそも消費者はお金を払う目的はそこではなく、投資であれば実りや過程を楽しむことであるし、消費であれば幸せを買うことである。元を取ることではない。
ものの原価や値段設定の構成要素に焦点を当てるのではなく、お金を払うことで時短になることや手間を省くことができるなど、支払った金額の対価に焦点を当てなければならない。
恋愛体質
一言で言えば、承認欲求の不健康な形である。恋愛をすることが決して悪いという考えではなく、恋愛に自分の価値や居場所を求めてしまうことである。
しかしそれは大半が勘違いであり、自分の承認欲求のために人を利用し、不要になったら切り離してしまうことを繰り返しているような、まさに人間関係を使い捨てにしている。
関わった人間からみて有害な存在であるし、刹那的に承認欲求を得るために心と体と時間を切り売りしてしまうという意味で本人にとってもマイナスしかない。
政治批判
政党の話ではなく、自分以外の人が、自分がプラスになるために何かしてくれると思い込んでいる、ということを表現した例えであり、ただの甘えた考え方である。
自分には誰かが何かをしてくれる価値があると思い上がっているか、無責任に他人に救いを求める受動的かつ怠惰さの証左に他ならず、そういった人は客観的に見て他者が助けるに値しない。
価値は主観的ではなく客観的な目線から判断をすることが重要であり、自分以外の人に価値を認めてもらえなければ価値があるとは言えない。価値が無い上に思い上がった考え方を捨てなければならない。
真に貧乏マインドを捨てるということ
貧乏マインドを捨てることに異論がある人は多くないと思われる。
ただし、自分では捨てられた気でいるが、実は捨てられていないことも多い。
捨てたはずの貧乏マインドは、通常の平穏な時には表れにくく、気持ちの乱れや苦難な状況下において現れるものである。
苦しい状況下の中で自然と貧乏マインドに気付くことは誰にでもできることではなく、まずは意識的に気付かなければならない。
そして、気付いたらすぐに貧乏マインドを捨てなければならない。
貧乏マインドだけでなく、過去の仮置きも捨てるべきものである。現在の自分に必要のないものは邪魔であり、過去の仮置きが多く存在する中に新しいものを得ようとしても、容量が溢れてしまう。
新しいものを得るためにも過去の仮置きはアップデートし、余分なものや邪魔なものは排除しなければならない。
まとめ
今回の勉強会は分かりやすく納得する内容ばかりであったが、貧乏マインドの要素がいくつか自分にも当てはまり考えさせられる内容であった。
「確かに…」、と納得する反面、どのようにして捨てなければならないのかと悩むこともあるが、まずは凝り固まらずフラットに物事を見られるようになることで改善されるのではないかと考えた。
そしてそのためには、自身に一番当てはまると思う「ムダなプライド」から捨てなければならないと感じた。
貧乏マインドの要素は全て思い込みや凝り固まった考えが主体になっていると感じたので、まずは自身が柔軟に客観的に物事を見られるように、努力しようと思う。
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